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ホームスクールという選択肢があることの素晴らしさ

by Mariko Benson

この記事は、NPO法人​自由創造ラボたんぽぽの米澤美法さんとのご縁で、不登校・ホームエデュケーション・自由な学びへの理解を深めるメッセージ集ありのままで〜幸せな不登校のすごしかた』という冊子(無料配布)に​寄稿させていただいたものを転載したものです。2年前、引っ越しをきっかけに、子どもが転校した。

どちらも公立小学校ではあったが、転校先で突然、長男ノアにふざけ癖がでてきた。新しい学校に慣れたら元に戻るかとの期待もむなしく、ふざけ癖は悪くなるばかり。なぜふざけるのかときくと、「退屈だから」という返事。…

思い返せば、引っ越し前、ソルトスプリング島でのクラスは最高だった。当時はそのプログラムがここブリティッシュコロンビア州の中でも先進事例であったことは知らなかった。

詳細は避けるが、略称MYSEEC(Middle Years Shared Ecological Educational Centre)と呼ばれる、日本でいう幼稚園から小学校3-5年生までを対象にしたプログラムで、自然豊かなソルトスプリング島のロケーションを生かし、自然や(人間を含む)生態系に焦点を当てた、経験重視のプロジェクトベース教育だ。もちろん、ブリティッシュコロンビア州(以下、BC州と呼ぶ)の教育方針とも呼応させた、アカデミック(いわゆる読み書きなどの基礎学力)な要素も、現場主義の自然学習の中に盛り込まれたもの。

はじめてノアのクラスをのぞきに行ったときの驚きは、今も忘れることができない。

うるさく騒いでいた子どもたちを前に、若い担任の先生は、自分を母鷲(お母さんワシ)と例えて、マザーイーグルが羽を広げたらすぐに彼女の前に集まるようにささやいた。彼女が腕を広げた途端、魔法のように静かになった子どもたちは、マザーイーグルを囲んで座り、様々な物語りに聞き入る。子どもたちはほとんど毎日、雨の日であっても、一定以上の時間を、学校を囲む森の中で過ごす。

ある日、ノアに学校で何を学んだかときくと、”archaeology(考古学) ”と答えた。考古学の言葉や定義だけでなく、実際に森にある植物を目前に五感を使いながら、考古学者の体験談や歴史、役割なども理解しているようだった。

今までの私だったら、「まだ幼稚園なんだから、考古学なんて、難しすぎない?」と反応していたに違いない。「考古学の定義よりも、易しいABCの読み書きから始めた方がいいのでは?」

でも、ノアの生き生きとした反応や話し方を見るうちに、それこそが、私たち大人たちが勝手につくってきた、「子どもたちはこう学ぶべき」という既成概念にとらわれたものであることに気づいた。

ソルトスプリング島からペンダー島に引っ越して、ペンダー島の学校はとてもいいという評判をきいていただけに、ノアが学校に満足せず、退屈しているのを知り、残念な気持ちになった。

引っ越し後、初めての三者面談の日、夫と私は、担任の先生にソルトスプリングでのエコロジカルクラスの経験を話した(追記:当時ペンダー学校では、4年生以上のみにエコロジカルクラスの選択肢があったが、現在、3年生以下を対象にしたエコロジカルプログラムの仮導入もされ、進化中)。

しかし、両者が共通の視点をもつことには至らなかった。逆に、担任教諭によると、ノアは転校時、クラスの中で読み書きレベルが遅れており、その分追いつかせるのに苦労したと言われた(ソルトスプリングでエコロジカルプログラムに参加していたためとの暗喩もあった)。

担任の先生の反応に愕然としたのと同時に、彼女と私たちの目指している教育のゴール、心のもち方、大切にしていることなどは、全く異なっていることを確信した。

私たちは、子どもの読み書き能力などは、子どもの好奇心、または学びへの意欲が出てきたときに、ほぼ自動的に、かつ、深いレベルで浸透し、身につくものとして理解していた。一方で、担任の先生は、早期に基本的な学力をあげることに集中することで、より効率的な学習ができるという、いわゆる古典的な教育方法を実践していた。

どちらの方法が正しいとも、間違っているともいえない。確かなことは、私たちが異なるアプローチをもっているということだった。

そんなとき、お母さん友だちのひとりから、ホームスクールをするグループの存在をきいた。

週一回、学校のクラスルームの一室で、ホームスクーラーが集まる。授業というよりも、情報交換または交流のための場。ホームスクーラーの社会性を育てる場でもある。生徒の見学にいくと、いろんな学年の、いろんな個性をもった子どもたちとその親たちがいた。高学年の子どもたちが、低学年の子どもたちに教えたり、一緒に遊んだりしている。スナックを食べたいときに食べたり、話したいことを話したいときに話す、自由な時間の過ごし方が印象的だった。定期的にコミュニティからゲストを呼んでの特別授業もある(ミュージシャンが音楽を教えたり、ソーラーパネルの技術者が太陽電池についての教えたり、バラエティに富んでいる)。

お母さんたちに、「なぜホームスクーリングを選んだのですか」ときくと、理由は様々だったが、皆に共通していたことは、「うちの子に合っているから」ということだった。

私自身、日本の学校教育で育ったせいが、学校に行かずに学ぶことは、ほかの”普通”の子どもたちにフィットできない敗者のような、どこか罪悪感をもたなければならないようなイメージがあった。

ここにはそのような空気は全くない。それどころか、多くの生徒は、毎日学校に通う子どもたちよりもなにかに卓越して優れている、私の視点からいうと天才児ともいえるような子どもたちもたくさんいた(芸術でも、専門性のあること、なんでも)。ホームスクールという、時間の枠組みがゆるい環境で、子どもたちは許されるだけの時間を、自分の好きなことを伸ばす時間に費やす。小学生ながら、アメリカまでヨットデザインを習いに行ったり。・・・子どもたちの可能性は無限だ!

中には、恥ずかしがりやでスクールバスに乗りたくない子や、傷つきやすい子などもいたが、彼らを含め、ホームスクーリングは、彼らが彼ららしく生きるための、ベストオプションであることに変わりはなかった。

見学後、私たちもホームスクーリングを試してみることに決めた。もし合わなければ、また学校に戻ってもいいかと思った(実際、何人か、ホームスクールと通常学校を行ったり来たりしている生徒もいる)。

幸い、私たちの参加しているホームスクールプログラムは、実はいわゆる純粋なホームスクールではなく、ホームスクールと学校教育のハイブリッドのような存在。ホーム”ラーニング”という、BC州ならではの、公立学校に所属しながら、BC州の教員免許をもった先生の監督のもと、ホームスクーリングを行うという仕組み。本人の希望によって学校行事に参加することも可能で、卒業すれば通常の卒業資格が与えられる。

しかも、ホームススクールに参加する子どもが増えると、政府や学校側にとっては、その分子どもの教材費、設備費などの経費が節約ができる(下記 図3参照)という理由から、ホームラーニングプログラムに登録した生徒一人当たり、一定の教育補助金が与えられる。これまで私たちも、多くの魅力的な教材(インターネットで見つけた、自分の好みのテキストブックなど)をはじめ、水泳や音楽レッスン、オンラインコース、実験教材など、数々の恩恵を受けてきた。

図3 「パブリックスクール経費のうち、ホームスクール導入を理由に節約できた経費の割合(カナダ州政府ごとの統計)2011/2012年」

     出典:Home Schooling in Canada: The Current Picture – 2015 Edition Deani Neven Van Pelt, Fraser Institute

ちなみに、カナダ全体ではホームスクールへの登録数はパブリックスクールの登録数と比べると、増加中(図2)。200607年と201112年を比べると、カナダ全体で29%以上の増加が見られる(表4)。

図2 カナダ全体でのパブリックスクール2006/2007年の登録数を100%として、2006/2007年から2011/2012年にかけてのホームスクールへの登録数の変化
    出典:Home Schooling in Canada: The Current Picture – 2015 Edition Deani Neven Van Pelt, Fraser Institute

特にBC州では、純粋なホームスクールの登録数は減っているが、上でも触れたホームラーニングプログラム(Distributed Learningともいう)をホームスクールに含むと、登録数は、倍以上に増加している(表4)ことに注目したい。

表4 カナダ(州ごと及び国全体)での2006/2007年から2011/2012年のホームスクール登録の変化とホームスクール登録の割合
出典:Home Schooling in Canada: The Current Picture – 2015 Edition Deani Neven Van Pelt, Fraser Institute

自分の子どもに合う教育が、学校教育とたまたま重ならない場合、ホームスクールというオプションがあることは、とても重要なことだ。ホームスクールやフリースクールを、不登校児対策の、学校に行かせることを最終目標にした、通過点とみなしてはならない。

近年、BC州の教育カリキュラムが大きく変わり、小学校で、これまでのいわゆるABC評価をなくしていくこととなった。学びの進度の数値化をやめ、協調性、クリティカルシンキング(批判的に考えられる力)、 コミュニケーション能力を高めることに重きをおき、生徒がより深く、より意味のある学びをすることを促す。

日本の教育の中で、生徒ひとりひとりが、将来を担う人材として、個々の人間として扱われ、ホームスクーリングを含め、自由な教育の選択肢をもてる日が来ることを願いつつ。

カナダ在住 ベンソン(進士)万里子
E-mail: marikobenson@gmail.com

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